2015年3月10日火曜日

平和Ⅱ

1945年3月10日(昭和20年) 東京大空襲(写真6枚)

スカイツリーの近くで、2年間気になっていた場所。
「東京空襲遺族舎」「東京大空襲訴訟原告団」

 
先月、勇気を振り絞りドアをノックしました。
数名の方が中で事務作業されていて、お爺さんが対応してくれました。
 
八百屋 お散歩「私は東京で育ったのだけれども、東京大空襲の事を何も知りません。お勉強するために読みやすい本があったら教えて欲しいです」
 
暫く入口で立ち話をしていたのだけれども、時間があるなら中で話しませんかと仰って下さり、お話を聞かせてもらいました。空襲による一般人の戦死者数は政府において未調査。(実は沖縄戦も政府においては未調査らしい。全国空襲被害者連絡協議会HP参照)
 

3月10日、サイパンを出発した戦闘機B-29の焼夷弾による無差別爆撃(じゅうたん爆撃)で一日で約10万人以上の戦死者。東京は焦土と化しました。
 
日本列島でいうと、47都道府県、400以上の市区町村、約56万人の民間人の戦死者。(広島・長崎含む、沖縄除く)1994東京新聞サンデー版参照
 
広島の原爆で約14万人。
長崎の原爆で約7万人。
 
沖縄の地上戦で約10万人。
 
軍人さんやその家族には恩給なるお金の支給がお亡くなりになるまであるのだが、空襲による民間人は家族も家も家財もなくなっても政府からお金はもらえなかった。空爆の被害者達で「東京大空襲訴訟原告団」を作り国を相手に訴訟をしている。
 
そして、東京大空襲の戦死者の名簿を作る為、民間レベルでの聞き取り調査を現在も続けている。高齢化していくと益々調査は難航されている。
 
東京は空爆、広島・長崎は原爆、沖縄は地上戦。
同じ戦争の被害者であるが、お互い距離をとる時期もあったそうです。
 
まだまだ勉強不足なので詳細は書けませんが、戦争孤児達が檻に収容されている写真を見せてもらった時は言葉が出ませんでした。
 
両国に慰霊堂があると教えて頂き、線香とお花をあげてきました。
下町に住んでいて知らなかったのが悲しかった。
元は関東大震災の慰霊堂だったのだが、戦後から東京大空襲の戦死者も慰霊されています。
 
 

 



3月10日前ということで、中には秋篠宮殿下、内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、東京都知事、消防総監、警視総監、増上寺、護国寺、寛永寺、池上本門寺、浅草寺、他 多数のお花がありました。

慰霊堂内でろうそくの炎を灯し、お線香をあげたとき涙が止まりませんでした。

感情論抜きに、勝ったから善、負けたから悪でなく…
先の戦争で起きた事実を知り、風化しないように伝承し、今ここで生きている事の、生かされている事の素晴らしさを、今後に何世代も後に繋げていくのが、戦争で亡くなられた人々の供養と、平和に繋がるのではないのだろうか。

綺麗ごとなのはわかっています。戦争は「怒り、悲しみ、恨み」を産みますが、日本の戦国時代の恨みを互いに1000年恨んでいたら今の日本国はないように、その感情は伝承せず心の奥に留めて、歩み寄り、分かち合い、助け合う関係を築きたい。

世界中に住む全ての人が毎日笑顔で楽しく幸せになる為に、ちっぽけなただの八百屋だけれども出来ることからはじめていきたい。
 

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